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美術団体春陽会が所蔵する歴史的資料のアーカイブ
春陽会史料館
TEL. 03-6380-9145
〒102-0085 東京都千代田区六番町1番町一番館
アーカイブ インタビュー
INTERVIEW
岸 葉子氏 に聞く
〔聞き手〕大石洋次郎、金谷ちぐさ
1923(大正12)年北海道札幌市に生れる。戦後三雲祥之助、小川マリ夫妻が設立・主宰していた札幌洋画研究所で学ぶ。1954(昭和29)年第31回春陽展で春陽会賞を受賞する。1955(昭和30)年春陽会絵画部準会員に推挙される。1971(昭和42)年春陽会絵画部会員に推挙される。女流画家協会展にも出品、受賞する。
2014年6月19日 14時〜15時45分 於・岸葉子宅
■札幌中島公園の中根邸・札幌洋画研究所時代
岸
北海道で生まれて、美大ではなく普通の学校を出ました。札幌の女学校(北海道庁立高等女学校/現札幌北高校)では、学年は二つ違いでしたが、八木伸子さん(旧姓松本・春陽会会員)と同窓です。小川マリ(1901‐2006)さんは同窓生、小川マリさんは私の母より年上ですが。
絵が好きだったから自然と描くようになりました。私は美術学校には入っていませんが、研究所に行っていました。私の家は中島公園の近くでした。終戦後中島公園近くに、東京から北海道に里帰りした絵描きさんたちが集まっていた家がありました。中根光一邸(一聲荘)〔註1〕で私が20歳くらいの頃の事です。八木さんと一緒に通っていましたが、児島善三郎などは、泊まり込んで何ヵ月も逗留していました。家主は一番立派な応接間のシャンデリアやスチームを外し、じゅうたんをはがして私たちの札幌洋画研究所に提供してくれました。そして児島善三郎やいろいろな人が絵を見てくれたりもしました。夏になると、野口弥太郎、山本正なども逗留していました。随分幸せなことでしたが、私たちはそれをありがたいとも思わず、月謝も払わないで毎日大威張りでやっていました。研究所では三雲祥之介先生、小川マリさん、独立美術協会の松島正幸〔註2〕さん、菊地精二さんが先生でした。
大石
春陽会の人はいましたか?
岸
三雲先生がいました。
大石
小川マリさんは東女の風景とか、昔しっかりした絵を描いていましたね。その頃の絵を知っていますか?
小川マリさんはずっと札幌にいらした。三雲先生とは札幌で結婚しました(1945・昭和20年8月)。三雲先生は素敵な方だったから、マリ先生は一生懸命で、仲が良かったですよ。
大石
小川さんは、それから東京へ。東女(東京女子大学)の一期生ですね。
岸
小川マリ先生のお父さん(小川二郎氏〔註3〕)は五番館興農園(札幌のデパート)を作られました。お父様が経営者だったので裕福に育った方でした。
■春陽会出品・東京へ
大石
春陽会にはどうして出すようになったのですか、出せと言われたのですか?
岸
そんなことないけど、自然に。機会に恵まれました。
大石
東京に出てきたのはいつごろですか? 結婚の為?
岸
結婚してから東京に出てきました。主人は商社に勤めるサラリーマンで、転勤で北海道に来ていた人。その後また転勤で東京へ。で、先に死んじゃったから・・。結婚してしばらくして東京へ、東京だからうまくいったのだけどね。東京では研究会に行っていません。
大石
その頃の春陽会は? 初出品はいつ頃ですか?
岸
20代です。小川マリさんと三雲先生が札幌に来て結婚したので、私と八木さんは春陽会に出すようになりました。春陽会とご縁が出来たのは先生との関係。八木さんの方が先に東京に来ていました。御主人が画家(八木保次)だから。池袋に住んでいましたが残念ながら今は死んでしまっていない(八木伸子 2012年2月6日逝去)。御主人も後を追って亡くなってしまいました。
春陽会で影響を受けた好きな画家は、やはり三雲先生。札幌にもいらしたし、よく見て下さったから。その後春陽会賞もいただき、変に褒められた時期もありました。そうするとあたりまえと思っちゃうのよね
■春陽会の同期
大石
会員になられたのは1971年、同期で会員になった人は岩浪弘さん、太田洋三さん、版画の竹田和子さん、長森聡さん、藤井俊一さん…。(70年史を見ながら)
岸
たくさんいるのね。山本久美子さん、山崎貴夫さん、廣永京子さん、長森聰さんもね。(全員春陽会会員)私と年の近いのは五味秀夫さんだものね。五味さんは難しそうな人、神経質そうな人だけど坊っちゃん坊っちゃんしていたわね。お酒は弱かった。軽井沢へ五味さんと皆で行ったことが二回ありました。
大石
五味さんはお金持ちでかっこいい人でした。吉江麗子さんは少し早く(1963年)会員になりましたね。
岸
吉江さんはどうして春陽会を辞めたのかしら。
大石
法人問題か?
岸
神経細やかなデリケートな人。私あの人好きよ。
金谷
準会員になられたのが1955年。準会員は長いのですね15年間。当時皆そうだったようですね。
岸
年については覚えていないけど、私も大分経つわね。
大石
吉江麗子さんの方が少し早い(1963年)。最近、あまり目立たないいい絵を描いていた人が亡くなられて寂しい。お元気でいて頂きたい。岸さんと初めて話をしたのは自分が新人賞を取った年(1971年)。松本楼での懇親会の時に受付におられました。「あなたが大石さん?」と笑われた。吉江さん、三吉さんと。
岸
私の作品は札幌の美術館のようなところ何十点も入っています。なかなかそんな機会はないからよかったと思っています。
大石
92回展は出してくださいね。
岸
はい、私ちょっとしょぼくれていたけれど。がんばります。
〔編集〕木村梨枝子 金谷ちぐさ
◆註
01|一聲荘
中根光一邸(一聲荘)には多くの疎開画家が集まっていた。終戦後すぐ三雲祥之助氏、小川マリ氏の結婚式が行われ、道内各地から集まった画家たちの熱気が全道展を生むきっかけとなった。またここで開かれた札幌洋画研究所では三雲夫妻も講師を務め、岸葉子さん、八木伸子さんら多くの画家の卵が通っていた。(札幌高等女学校同窓会誌)
02|松島正幸
1910年- 1999年 洋画家 独立美術協会会員。
03|小川二郎氏
1899年(明治32年)に種苗・農機具の販売業であった札幌興農園が現在の札幌市中央区北4西3に横浜の外国人居留地の洋館を模した赤れんが造り、2階建ての店舗を開設した。
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