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美術団体春陽会が所蔵する歴史的資料のアーカイブ

TEL. 03-6380-9145

〒102-0085 東京都千代田区六番町1番町一番館

春陽会に寄せてESSAY

寄稿 / 論説


それからの春陽会  文 田中 正史

◆岸田劉生と梅原龍三郎の退会と、萬鉄五郎の死
創立時の客員であり、その後は会員として存在感を示していた岸田劉生が、森田恒友や山本鼎、長谷川昇らとの確執によって、梅原龍三郎とともに脱退したことは、発足直後の春陽会にとって最初の大きな危機であった。

  1. 岸田劉生と梅原龍三郎の退会と、萬鉄五郎の死
  2. 林倭衛と小山敬三、硲伊之助らの活躍と退会
  3. 素描と水墨と挿絵と版画と
  4. 春陽会と版画
  5. 国家統制に抗う
  6. 新たな帰朝画家
  7. 春陽会の本質

戦争のとばくちに立って  文 原田 光

◆ 春陽会では、1933年(昭和8)に、会員の硲伊之助と小山敬三が脱退し、翌34年には、6名の会員の、小林和作、木下孝則、青山義雄、林倭衛、鬼頭甕二郎、別府貫一郎と、会友の坂口右左視、田中万吉、岡田七蔵、大森敬助、橋本節哉が脱退している。会員でいえば、その3分の1が集中的に脱退したことになる。

  1. 戦争のとばくちに立って 1
  2. 戦争のとばくちに立って 2
  3. 戦争のとばくちに立って 3
  4. 戦争のとばくちに立って 4

春陽会の版画 その諸相と系譜  文 滝沢 恭司

◆「版画室」新設とその背景
春陽会は1922年(大正11)に結成され、翌年第1回展を開催して以来、現在まで100年にわたって活動が継続している美術団体である。油彩による肉筆画の出品を中心とした歴史のなかで、版画の出品は1924年(大正13)開催の第2回展に……

  1. はじめに 「版画室」新設とその背景
  2. 版画室新設から1935年までの版画出品
  3. 帝展改組と版画出品への影響
  4. 北岡文雄と駒井哲郎の登場、そして版画部独立へ
  5. 駒井の存在感と春陽会版画タイプの生成
  6. おわりに

春陽会の本質を形作るもの  入江 観 × 土方 明司

◆帰るべき日本という故郷
土方 初期の春陽会には、東洋的な雅趣に富んだ洋画というイメージがあります。もともと小杉放菴(未醒)は横山大観と「絵画自由研究所」の設立を計画していました。しかし1913年(大正2)に岡倉天心が亡くなり、大観は……

  1. 帰るべき日本という故郷
  2. 強まる結束と新しい風
  3. 若手育成と会の近代化
  4. それぞれが創立メンバー


バナースペース

一般社団法人春陽会

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