◆岸田劉生と梅原龍三郎の退会と、萬鉄五郎の死
創立時の客員であり、その後は会員として存在感を示していた岸田劉生が、森田恒友や山本鼎、長谷川昇らとの確執によって、梅原龍三郎とともに脱退したことは、発足直後の春陽会にとって最初の大きな危機であった。
◆ 春陽会では、1933年(昭和8)に、会員の硲伊之助と小山敬三が脱退し、翌34年には、6名の会員の、小林和作、木下孝則、青山義雄、林倭衛、鬼頭甕二郎、別府貫一郎と、会友の坂口右左視、田中万吉、岡田七蔵、大森敬助、橋本節哉が脱退している。会員でいえば、その3分の1が集中的に脱退したことになる。
◆「版画室」新設とその背景
春陽会は1922年(大正11)に結成され、翌年第1回展を開催して以来、現在まで100年にわたって活動が継続している美術団体である。油彩による肉筆画の出品を中心とした歴史のなかで、版画の出品は1924年(大正13)開催の第2回展に……
◆帰るべき日本という故郷
土方 初期の春陽会には、東洋的な雅趣に富んだ洋画というイメージがあります。もともと小杉放菴(未醒)は横山大観と「絵画自由研究所」の設立を計画していました。しかし1913年(大正2)に岡倉天心が亡くなり、大観は……
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