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美術団体春陽会が所蔵する歴史的資料のアーカイブ

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春陽会に寄せてESSAY

春陽会の版画 その諸相と系譜 5        滝沢 恭司


◆駒井の存在感と春陽会版画タイプの生成


 日本での銅版画への興味の高まりを背景に、春陽会版画部が独立し、会独自の版画のタイプが示されるようになると、多くの若手版画家が駒井哲郎の作品に共感を示し、あるいはその作品から刺激を受け、まるで駒井に導かれるようにして銅版画を制作、それを春陽会におくって審査を受けている。その結果、当初北岡や駒井が考えたような、春陽会の版画タイプが生成された。
 そのタイプを構成することとなった版画家を順に挙げていくと、1954年には、駒井や関野凖一郎(1914-1988)の指導を受けて銅版画の制作を始めた小林ドンゲ(1926-2022)が初出品し、その後も妖艶なイメージの銅版画を出品して1959年(昭和34)に準会員、1967年(昭和42)に会員に推挙されている。銅版画ではないものの、1954年には、同舟舎絵画研究所時代から駒井との交流があった清宮質文(1917-1991)が木版画を初出品、その後も駒井の銅版画と共鳴する繊細で詩情あふれる木版画を出品して1956年(昭和31)に準会員、1957年(昭和32)に会員に迎えられた。また、1957年には、駒井や関野らと「日本銅版画家協会」の設立に参加した宮下登喜雄(1930-2011)が初出品し、春陽会賞を受賞している。翌1958年には、1930年代半ばに駒井らとともに西田武雄(1894-1961)主宰の「日本エッチング研究所」(1931年設立)で学び、以来油彩画と併行して銅版画も制作していた笠木實(1920-2018)をはじめとして、駒井に銅版画の指導を受けて春陽会の版画家となった幸田美恵子(美枝子、1931年生まれ)、長谷川潔の作品に衝撃を受け、その後駒井に師事して銅版画を学んだ丹阿弥丹波子(1927年生まれ)、駒井の作品に感化されて銅版画制作を始め、文学からのイメージの生成に向った深沢幸雄(1924-2017)がそれぞれ版画の出品を始め、やがて会員となった。さらにその翌1959年には、駒井に師事して銅版画を制作し、虚構と現実が織り成す繊細で静謐な空間を創造した加藤清美(1931-2020)が出品し、翌1960年(昭和35)の第37回展で春陽会賞を受賞、1968年(昭和43)に会員となった。1959年にはまた、駒井に師事してヴォルスを思わせるアンフォルメル風の抽象の銅版画を制作した甲斐サチ(1925-1995)が出品し、1962年に研究賞を受賞、1968年に会員に推挙された。このほか1950年代末に、デモクラート美術家協会のメンバーであった内海柳子(1921-2023)が銅版画の出品を始めている。


第34回展(1957年)のポスターに使用された駒井哲郎の作品。

 この後1960年代以降も主に駒井哲郎を源流とする表現の系譜は受け継がれ、その性格はより強くなったと考えられる。1963年(昭和38)に春陽会研究賞を受賞し、その後1969年に会員となった馬場檮男(1927-1994)のサーカスや遊園地をコミカルに表現したリトグラフの世界観にしても、駒井の《月の兎》(1951年)や《人形と小動物》(1951年)などの初期銅版画と通じるところがある。1963年に初出品しその後1967年研究賞を受賞、1972年(昭和47)に会員となった舩坂芳助(1939年生まれ)のパウル・クレーの空間構成を思わせる1960年代の抽象版画も、駒井の初期作品につながる春陽会タイプの版画といえる。東京藝術大学で直接駒井の指導を受けて春陽会に出品し、1964年(昭和39)に研究賞を受賞、その後1966年(昭和41)にニューヨークに渡った白井昭子(1935-2001)の1960年代半ばの銅版画も、『からんどりえ(CALENDRIER)』(書肆ユリイカ、1960年)や『人それを呼んで反歌という』(スパーク画廊、1966年)といった駒井の詩画集に共鳴する内容が見られよう。1965年に春陽会賞を受賞、1970年(昭和45)に会員となった坂東壮一(1937年生まれ)の西洋古典版画に根を持つ幻想的銅版画もまた、アルブレヒト・デューラーやシャルル・メリヨンの版画に興味を持ち、探求した駒井の銅版画との共通性があろう。東京藝術大学で駒井に学び、1966年の春陽会に銅版画を初出品し、1967年に研究賞を受賞、1971年(昭和46)に会員となった竹田和子(1943年生まれ)の白と黒のメゾチント作品は、駒井が尊敬する長谷川潔の深遠な思想と高い精神によって創造された銅版画表現との類似性が認められる。1963年に春陽会に初出品した後、1967年に研究賞、1971年に会員となった二見彰一(1932年生まれ)の幻想世界に誘い込むような詩情豊かな銅版画もまた、駒井を支柱とする春陽会の版画タイプを構成するひとつとなった。北海道を拠点に活動し、1965年に研究賞、1972年に会員となった渋谷栄一(1928-2011)も、駒井の作品に触れて銅版画の制作を始めた版画家だった。なお、すでに絵画部の会員だった三井永一(1920-2013)も、前衛美術グループの「アートクラブ」の仲間だった駒井に勧められ、1963年に版画を初出品、翌1964年版画部会員となっている。
 1970年代に入っても新人版画家の銅版画出品によって、春陽会の版画タイプは揺らぐことがなかったといえる。多摩美術大学で駒井に銅版画を学んだ渡辺達正(1947年生まれ)は、音や光、無常といったイメージを幻想的に表現した抽象版画を制作して1970年(昭和45)の春陽会に初出品、翌1971年に研究賞を受賞、その後花や鳥、魚、昆虫などの自然物をモティーフとした神秘的イメージを具象の銅版画に表わして出品し、1977年(昭和52)に会員となった。1968年から春陽会にメゾチント作品を出品し始めた斎藤カオル(1931-2021)も、西洋古典絵画のイメージを援用した神秘的、幻想的銅版画を制作し、1972年に春陽会賞を受賞、1974年(昭和49年)に会員となっている。1963年から油彩画を春陽会に出品していた廣田雅久(1927-2011)は、1971年に銅版画を初出品し新人賞を受賞、メゾチントによって静かで落ち着いた風景画を出品して1977年に会員に推挙されている。このほか、やはりメゾチント作品を制作する浜西勝則(1949年生まれ)が1975年に新人賞を受賞、1981年に会員となっているし、東京藝術大学時代に駒井哲郎のもとで本格的に銅版画制作を始め、幻視的光景をエングレーヴィングやメゾチントで表現していた吉田勝彦(1947年生まれ)が、1974年の春陽会に初出品して新人賞を受賞、1976年に研究賞受賞、1980年(昭和55)に会員となった。さらに加藤清美の作品に感銘して銅版画制作を始めた柴田昌一(1935年生まれ)が、聖書の世界観をもとにして描いた近未来的風景の銅版画を出品、吉田勝彦とともに1974年に新人賞受賞、1980年に会員に推挙されている。



第54回展(1977年)の版画部の審査の様子。手前右より斎藤カオル、北岡文雄、前田藤四郎。

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