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美術団体春陽会が所蔵する歴史的資料のアーカイブ

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春陽会に寄せてESSAY

春陽会の本質を形作るもの 4     入江観 × 土方明司


◆それぞれが創立メンバー


土方 入江先生がそもそも春陽会に出品するきっかけは加山四郎の影響ですか?

入江 小杉先生が故郷の日光の先輩で、小学校の時の先生も春陽会に出品していたりということもあって、子どもの頃から春陽会というのはすり込まれていました。そして藝大に入ったら加山先生が春陽会の会員で、といったことが重なって、自然に近づいていった感じです。最初に春陽会に出すと加山先生にお伝えした時には、僕は知らんぞという言葉が返ってきました。その時はどうしてそんな冷たいことを言うのかと思いましたが、自分が教え子をもつようになって、その気持ちがわかりました。言葉ではそう言いながら応援してくれていたんです。会員になりたての頃は、ちょうど絵画ブームで、幸か不幸か作品が売れまくる時代でした。この頃、加山先生からは、ちっとは絵が売れるようになったからっていい気になるなとお叱りを受けたこともありました。

土方 加山さんが藝大で教えていたことで、藝大の学生も春陽会に出すようになったわけですね。

入江 僕に続いて、前田舜敏さんや横山了平さん、モダンアートから春陽会に変わった太田洋三さんたちも出すようになりました。

土方 会の近代化とほぼ並行して、1958年に木村荘八、1964年には小杉放菴と、戦前の屋台骨だった絵描きさんが亡くなります。やはり会の雰囲気もかなり変わったのでしょうか?

入江 中川先生もあの頃から出したり出さなかったりといった状態になっていました。

土方 中川一政とお親しくされるようになったのは、どういったきっかけだったのでしょうか?

入江 加山先生が亡くなられた時に、加山夫人と前田舜敏さん、僕の三人で中川先生のところに、図録の文章をお願いしに行ったんです。それをきっかけに中川先生から時々、遊びに来ればと仰っていただくようになりました。中川邸の庭にはお茶の木が植わっているのですが、茶摘みに招かれたことがあります。その時に使っていた軍手の糸がほつれてしまって中川先生のお嬢さんに糸を切ってもらうことになって、「手は商売ものだから、手は切らないで下さいよ」としゃれっ気まじりに言ったんです。それを聞いた中川先生が「入江君は手で絵を描くのと」と言われて、もうどうしようかと思いました。そうしたら中川先生はふふふとお笑いになって、ああこの人はすごいと思うようになりました。そのうちに奈良に版画工房ご一緒させていただくようになって、毎月1回、10年くらい通いました。制作半分、遊び半分みたいなところがあって、今になって思うと、中川先生と一緒に過ごしている時間というのが一番の収穫でした。熱海から新幹線に乗って昼頃に京都に着いてお昼を食べる。その後、骨董屋をまわるのですが、中川先生は店の上客なので、店主が店頭に並んでいないものを奥から出して見せてくれる。僕らはすぐにこれはすごいと顔に出てしまうわけですが、中川先生はいいものを見たら感心をしてはいけない、そのたびに値段が上がってしまうからと。ある時は、2幅かけてあるどちらが本物かと言われて、考えあぐねて一方を選ぶわけです。すると店を出て車に乗った時に、両方ダメということもあるんだよと楽しそうに僕らに言ってくださったり。そういう頭の柔らかさというか、柔軟な思考をお持ちでした。
 それから中川先生が西のほうばかり向いて足元にこんなすごいものがあることを知らないのは残念なことだといって、勉強会と称して、自分が集めたコレクションを見せてくださる機会を年に1、2回、設けてくださいました。でも僕は墨跡なんかは読めないから、なんて読むんですかとお尋ねすると、君らは大学を出たんだよねと笑っておられました。中川先生は80歳くらい、僕らが40歳くらいだったかと思います。


中川一政宅での集い。昭和33年。三雲祥之助、中川一政、岡鹿之助、木村荘八、手前が小川マリ。

土方
 最後に、春陽会は入江先生にとってどういう存在といえるでしょう?

入江 春陽会に育ててもらったという気持ちはすごく強くあります。中川先生、岡先生に直接接することができた幸せもありますが、口には出さないけれど同年代の作家たちに負けてたまるかという気持ちがあって、毎年出品を続けてくることができました。

土方 それは団体展の一番の存在理由ともいえますね。よい先輩の刺激があって、よいライバルがいて。やはり美大を卒業して一人でやっていこうとしてもなかなか発表の場もない。でも春陽会に所属していれば、年に少なくとも一度は必ず大作を描かなければならない。自分を甘やかすことができません。

入江 ただ春陽会も100年を迎えて、たんに継続しているというだけでは意味がないと思うのも事実です。じつは所属作家たちには100年の記念事業として解散を考えたらどうだろうかと提案したんです。惰性で続けていても意味がない。でも解散に賛成する人は誰もいない。だとすると、なぜ続けるのかを一人一人が考えてみてほしいと。これまでの諸先輩方がされてきたように、それぞれが101回目からは創立メンバーだと思って、これからの春陽会を考えていってもらいたいです。
(いりえ・かん/春陽会第100回展記念事業実行委員長)
(ひじかた・めいじ/川崎市岡本太郎美術館館長)

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